えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014/10/13 22:41 『ノーベル賞はあきらめない基礎研究とチームワーク』

 日本の誇りであり、アジアの誇りでもありますノーベル物理学賞を3名の日本人が受賞しました。

 

昭和61年以前には結晶の素材としてほとんど見向きもされていなかった窒化ガリウムに注目し、昭和61年に、青い光を出すのに必要な高品質の「窒化ガリウム」の結晶化に世界で初めて成功した、名城大学教授 赤崎 勇氏(85歳)と師弟関係にある 名古屋大学教授 天野 浩氏(54歳)、さらに平成5年、独自に開発した装置を使って、極めて明るい青色LEDの開発に世界で初めて成功し、世界中の研究者を驚かせた カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授 中村 修二氏(60歳)ら3名の情熱とあきらめない執念が世界に認められた快挙でした。

 

最近の日本の科学界はあってはならない不祥事が多く発覚し、科学者の世界まで非常識がまかり通り色々な問題が報道され、ついには世界的な学者が自殺するという暗いニュースが流れていただけに今回のニュースは久方振りに明るく大変嬉しいニュースでした。

東北大震災、台風・水害、噴火災害など日本全体が深い悲しみの中に自信を失いかけていた時だけに、物創りの国「日本」の評価が再び世界で上がり、我々日本人に誇りと自信、やる気を呼び起こす素晴らしい受賞であったと思います。

 

インターネット(IT)時代になり100年前と比べ地球全体(世界)が狭くなり国境もなくなり、一国の経済は自国内だけの影響でなく遠く外国の情勢、例えば 政変、紛争、財政状況、自然・人為災害等々によって瞬時に連鎖的に為替相場の上下や市況の上下、外国人投資家の動静などに影響を与え自国の経済が変動してしまう程、情報・ニュースの受発信がグローバル化しています。そしてこのノーベル賞のニュースも一瞬にして世界中を駆け巡りました。

 

安定した豊かな国や地方であってもそこに住み生活する集団にとって知識や情報の追求は基本であります。また異なる国民・民族間ではお互いに切磋琢磨の努力を厭わないことがその国民の民度の優劣を決定する分かれ道だと思います。

ノーベル賞は地球のどんな所に住もうが生まれようが、優しさと美しい神様のような温かい霊の持主たちが自然と集まり、その中心となるリーダーと周りの強い結束力で確固たる目標に向かって一体となりこれをやりたいと思い願うことから第一歩が始まると思います。そして決してあきらめず一歩一歩努力を積み重ねたそこからノーベル賞という奇跡が起きるのです。

スポーツや芸術であれ また経済であれ科学・医学・政治であっても団結力のあるチーム・団体、企業、政党、国民・市民、町内会、家族に至るまでこのような奇跡は起こりうる思います。日本の敗戦後の復興も正にこの事の証明だと思います。

 

自分の住む町をどんな町にしたいのか? いつでも答えられるだけこの町を常に愛することと情報を知ること、さらに歴史的裏づけのあるこの上越市は全国屈指の人材を各界各層に送り出した土地でもありますので、それらのレベルの高いこの町の伝統的人物の足跡を大切にし、誇りあるものを子供達にしっかり受け継がせることを私達日本人は考え、自身を持ってノーベル賞をアジアの中で一番受賞者の多い国であることを自負するべきであると思います。

 

ノーベル物理学賞に続きノーベル平和賞の受賞者が発表され、パキスタン人のマララ・ユスフザイさん(17歳)が受賞しました。ノーベル賞史上最年少の受賞となり、世界中が驚きと賞賛の声を上げました。

このマララさんの受賞までの経歴はあまりにも過酷で苦難に満ちたもので、自分の死を覚悟して命懸けで活動してきた中で、世界中の人々が感動し突き動かされた結果の受賞だと思います。

受賞したマララさんが行ったイギリス中部バーミンガムの図書館での英語による受賞決定スピーチは、とても17歳の少女が語ったとは思えない素晴らしい内容のものでした。これは是非とも日本の子供達にも読んでもらいたいと思います。

今後、日本においてもマララさんのような立派な若者達が育ちあるいは育て、この後に続いて行ってくれればと心から願うものです。

今回ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんに最大限の敬意と賛辞を送りつつ、今後の活躍を見守りたいと思います。

2014/09/29 06:57 『このマイナスイメージの損害、誰の責任なのか!』

夢と希望を持って待ちわびていた北陸新幹線の開業の日が来春3月14日と発表されましたが、その内容に私達上越市民は愕然とさせられました。

>新幹線の速達型「かがやき」が、新潟県には1日に1本も止まらないという驚きと失望のJR本社の発表です。

 

上越は戦う前に長野、富山、金沢という地域間競争に敗れました。 あの発表があった日の新聞記事の東西JR本社の幹部の言葉は、「富山、金沢の両市の新幹線に対応する準備・熱意は上越とは(明らかに)違いがハッキリ表れている」と厳しく指摘し、警告に近いコメントの発信が記載されていました。 この事実は素直に受け止めざるを得ません。

この新幹線開業に対する大事な事業の要を上越市役所の企画政策部の新幹線対策室が仕切る中、行政は3年前に越五の国(上越市・妙高市・十日町市・柏崎市・佐渡市)新幹線連携会議を立ち上げ、新幹線開業対策会議を何回も開催しましたが、結果的にJR本社の幹部が期待する程の企画や面白いアイデアや心を惹きつけるこれはという町づくり、通年の観光事業や企業、学校、大手研究機関の誘致運動なども無いままに、完全に長野や富山・金沢の強烈な想い、情熱に敗れたのです。 この屈辱的なマイナスイメージや損失は誰が責任を取るのでしょうか?

 

今回のこの新幹線の事業は駅名から始まり様々な検討委員会の取りまとめは事務局である上越市の幹部が仕切ったのです。 大学教授や商工会議所、民間の一部の市民もいましたがほとんど行政側の原案通り異議無しの諮問会議で事を推し進め、議会で議員がアイデアを出し色々な問題を提議しても役人は絶対に議員のアイデアや政策提言を取り入れません。 そこが上越全体の発展が遅れる原因だと思います。

一番の新幹線対策責任者がこの3月31日で定年退職し、退職金を数千万円ももらい、また新幹線に関わる部所に再雇用されているのです。

一番速い新幹線が止まらない損失は、上越地方の民間企業に多大な影響を及ぼしますが市や県のお役人さんの所得には一切関わりが無く、「上越妙高」駅に列車が止まらなくても関係無いという感じです。

 

この歴史的な新幹線開通のチャンスを最大限に活用して、この上越地区を発展させてこそ市民の幸福と平和を実現することができると思います。

地方創生の謳い文句は立派でも今の上越市、またこの地域は名指揮者不在のオーケストラです。 監督・コーチのいないサッカーチームと同じです。勝利を勝ち取るためには、神様にすがるより方法がありません。

『どうか、このかけがえのない町に名指揮者か名監督の実力のある人をお与え下さい。人材こそこの地域の宝です。また、人材を育てなかった罪と政治に無関心だった罪を神様お許し下さい!』

 

 

 

 

2014/09/21 10:27 教育問題を問う 教員採用条件に社会体験、団体教育体験の加味を 

  昨今教員の不祥事が続発し、新聞テレビ等マスコミで報道されています。新潟県に於いても、ベテラン教諭の酒気帯び運転による自損事故。20代女性教諭が駐車場で拾った3千円をネコババし、それを得意気にフェイスブックに書き込んでいるというのですから、その常識の無さに呆れて開いた口がふさがりません。

  また精神的弱さからか、コミニケーション能力の無さからか登校拒否に陥る教員も大勢いるのです。その結果が今、学校ではいじめ、不登校、殺人、自殺が増え、大人になっても無責任で自分勝手で、まるで子供のような駄目大人を社会に送り出し、世の中を混乱させている一因を作り出しているのです。そこには元来日本人持つ美徳である「和」の精神、卑怯不正を恥じる「義」の精神、思いやりの「仁」の精神はまったく消え失せています。

 

  私は現在開催されている9月上越市議会の19日一般質問において、村椿正子教育委員長と、教育現場の代表である中野敏明教育長に「特に道徳教育の重要性について」伺いました。お二人のご返答からはこの件に関して、一生懸命努力されていること、苦慮されていることが判りました。

  しかし実際の教育現場では文部科学省や教育基本法の縛りが有り、また教職員組合、県、自治体の教育課など学校教育に関わる高い障壁の中でお互いの権力や意識、思想的な対立、学閥の力関係などが複雑に絡み合って「今本当に子供たちに何を教えなければならないか」と云う根本的な問題を解決出来ず権力闘争に明け暮れ、教育がどんどん悪い結果に流されているのが現況ではないでしょうか。

 

  私は、一つの方法として教員採用試験に当たっては一般実務社会を経験すること、また自衛隊、警察学校のような厳しい規律と規則の団体生活を体験することを受験資格の一つにしてはどうかと提案します。

 

  「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」と云う川柳がありますが、教員という職業は若い時から“先生”“先生”と呼ばれるため、いつの間にか自分が偉くなったような錯覚を持ち世間を知ろうとする努力も無く、一般常識の欠如した人間になってしまっている例が多々あります。そういう人間が道徳という崇高で深淵な知識を純粋無垢な子供たちに教えられるはずがないのです。今求められているのは道徳教育をやってみせ言って聞かせてさせてみることができる教員が求められているのです。

 高い偏差値能力だけでなく、正しく生きていくための総合力を加味した人間学、実学を体験した教員が大勢いる学校こそ、社会に貢献する文武両道の人間を送り出せるのではないかと思います。

 

 教育は国家の管理下ではなく、その地方地方の独自の教育方針で、日本人としての誇りを持ち、かつ広い視野を持ち、世界を相手にするような若い人を育て創り上げていくことこそ肝要かと思います。

 

  目標を失い掛けている日本に再び有能な若い指導者を創ることが今教育者の使命ではないかと思いますが、いかがでしょうか。