えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2018-12-10 14:09:56.0 <いつまで続く弱腰姿勢、現状のままで良いのか>

  日韓関係が再び悪化の方向に走ろうとしています。韓国政府はどうして日韓関係を安定させ国家基盤を構築しないのでしょうか。1965年、今から53年前当時の韓国政府と日本政府との間に日韓請求権・経済協力協定を結び、韓国は自ら納得して協定書にサインをして決めていたにも拘わらず、大統領が替わると必ず国際法を無視し自国の法律を持ち出し日本からお金を取ることだけを突き付けてきます。このことは国際法のウイーン条約違反です。しかるに従軍慰安婦問題や此度の元徴用工問題を国内法で取り上げ賠償金支払い命令を新日鉄住金に続き三菱重工業に対しても同じ命じる判決が言い渡されました。

 

 日本と韓国と国対国の条約は時が過ぎると、又大統領が替わると約束が全く帳消しとされる国なら、一切友好条約や日韓基本条約も全く無視する信義すら守らない信用や信頼出来ない国として国交を断絶すべきです。日本が戦前や戦後も色々手厚く韓国の経済支援、インフラ支援に援助して来た好意に対して今でも反日教育を始め日本敵視を続ける韓国政府に対し日本政府として毅然とした強い意志を示すべきです。

 

 我々も独立自治国としての堂々とした強い態度を示すべきであり、威厳の無い外交を行っているから北朝鮮の拉致問題などもなめられ続けた結果の外交です。ロシアの北方領土も四島から二島返還も甘く見られています。お金だけ取られ続けている腰抜けの国と思われる事に腹が立つこの頃です。政治は世論で決まります。世論はどうするのでしょうか。

 

2018-12-03 17:01:17.0 <本音が封印されて行く社会>

 近頃この国は外敵よりも内部から腐り始めているように思います。先ず目に付くのが子供の教育をきっちり責任を持ってやらない親から始まり、学校でも職場でも地域社会でも責任上、当たり前に厳しく指導するべき立場の教師、上司、先輩、年長者達が、昔なら当たり前だった方法で厳しく接すると、即パワハラだ、人権無視だ、セクハラだ、差別だとマスコミを始め世間がまるで犯罪者扱いのようにしますから何か問題があってそれを見ても見ぬふり、親も子供に厳しく躾出来ない、しないから困った世の中です。

 

 子供を思うがあまり、言うがまま買い与え甘やかして育てた結果その子供が親に対して将来尊敬するかといったら全く逆で、悪い事をしたら厳しく時には鉄拳制裁も厭わず育てられた子供の方が、その時は憎まれましょうが将来親を尊敬するであろう事は自明の理です。昔は曲がった事や悪い事を看過出来ない正義感の強い頑固な人が多く怖い親、厳しい先生や先輩が沢山いましたので社会全体が貧しくても「心」は貧しくは無く背筋が真直ぐな秩序を守る国民性でした。

 

 しかし平成の今日、本音で注意や指導も出来ない有様の中で本当に厳しい荒波の国際社会のい中を乗り越えていけるのでしょうか?又人間同士の絆、親子や兄弟、姉妹、親戚との付き合いもどんどん薄くなり高齢化と少子化、社会孤立や孤独な社会へと時代の流れが進む中、やはり日本が世界に誇って来た素晴らしき日本の伝統文化を今一度継続する習慣を取り戻すべきです。その為には全て昔の考えや厳しい中にも愛情のあった堅物の頑固親父、頑固爺婆がいる社会に戻すべきです。

 

 話がわかり人に嫌われない人は意外と内面は冷たく、愛情の薄い人が多いのです。本音を言いたくても言えない環境の現代社会、一見耳触りのいい民主的な自由平等社会と言っていても、責任逃れの建て前通りの薄情社会より本物の義と人情のあった社会の方が良かったと感じますが如何でしょうか。

 

 「散る落ち葉、ますます昭和が遠くなり」

               よしお                 

  

 

2018-11-30 18:15:18.0 ♢ この30年自らの平成をふり返りませんか…! NO1♢

 平成の30年、あっという間でした、上越市では平成5年に、20年務められた植木公市長が10月に辞任され、3代目の上越市長職を宮越馨氏が選挙で勝ち取られ28年目に今度は、木浦正幸氏が宮越氏を破り平成13年から2期8年、平成21年まで木浦市政が続きました。 

 

 私も平成510月の市長選挙の時に市議補欠選挙があり、その選挙に出馬して1期目をスタートしました、当時の国会議員は衆議院ではこの六区は3人区から2人区となり、激しい保革の戦いが始まりました、又私は当時30代だった若い白川勝彦氏に期待し、将来この六区から中央政界で活躍する国会議員が必要と考え、後援会の幹事長や選対の役員として平成13年まで支え、それでも地盤・看板・お金も無い無名の30代の青年を押し上げ当選、大平内閣では国土政務次官、党の総務局長、森内閣では自治大臣に就任し、これからと言う時筒井しに敗れ、平成の政治史から消えて行きました。

 

 私の平成の30年間は家庭とお店の経営は家内と次男に任せ、24時間眠る以外はほとんど政治と選挙運動でどうすれば上越地区が発展するのか、次の世代に先人たちが残した下さった地域資源、特に歴史と伝統.美しい自然環境を守り続けて行くか、又教育は子供だけでなく市民も国家観と歴史観を勉強する機会が必要であると考え、雪下駄塾・琢磨の会・不識の会を設立したり、謙信公生誕の地らしい武道館の誘致の為の武道連盟の設立.新幹線駅名運動.謙信公の魂が入った太刀、国宝「山鳥毛」の取得運動も同志の仲間と共に、勢一杯平成の世を全力で走り続けて来たと思っていますが、若い時の相撲界で全国を見たり海外をオートバイで放浪し様々の人と接して学んだことが、78年間生きて来た肥やしであり、学歴や教養があっても行動しなければ、時代もつくれないし何もしないで浮いて流されるだけです、平成をふり返り冷静に自分の足元を見るのも必要ですね・・・!                                                           それでは又、