えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2018-05-30 16:17:59.0 〈県民の責任が問われる選挙〉

 

 随分長いこと選挙と政治に関わって来ました。政治と選挙は一体です。選挙は民主主義の聖域です。21世紀の今日でも国民に選挙権を与えていない国があります。一党独裁国家がそうです。選挙そのものは多数決で決まりますので、責任感の無い政治家は有権者受けの甘い言葉での印象操作を行い、時のマスコミによる新聞、テレビ、週刊誌などは日本では殆んど現状では反体制的で例えば時の政権が行った事は良くて当たり前で良かった事は殆ど記事にせず少しでもミスがあればボロクソに報道の権力で政治家を叩きます。報道の自由、表現の自由を錦の御旗にしています。そのような酷い環境の中で意外と有権者は深くも考えず、自分の事で精一杯で政治は政治家と行政まかせ、投票にも行かない、政治に関心が無いという人が残念ながら沢山います。こういう状態は決して健全ではありません。

 

 大切な投票権を放棄したり政治や選挙に関心が無いと言いながらも不平や批判だけで行動しない国民性の国や街にしてはならないと思うのです。国の運命や方向性を決めるのは国民ですから国民の人間性や考え方を良くしなければ国も街も良くならないのではないのでしょうか。軽薄で耳触りの良いビラや街宣カーの印象だけで決して判断してはなりません。複雑多岐に渡る課題、難題を解決出来るだけの優れた能力が求められる政治の仕事を単純な観念論だけの上滑りした言葉だけを信じて投票して欲しくは無いのです。

 

 近頃本当に熟慮する人が少なくなりました。この事がリーダー不在やリーダーの質の低下にも繋がっています。東大を出て頭だけは良くても熟慮が少なければ混乱を引き起こすのです。最近も私達の身の周りに起こりましたが、学はあってもバカはバカという人は沢山います。そんな人を推薦した政党、団体、そして選んだ有権者の責任は重いと考えます。同じ事を又繰り返すのでしょうか。県民性が問われています。結果が近づいています。選挙こそ国民が主役です。国民も間接的には政治家なのです。

 

2018-05-27 14:46:58.0 ♢ 崩壊も繁栄も政治家の決断で決まる ♢

 朝鮮半島平和の日が訪れるのかと思いきや、米朝のトップ会談の日が、 トランプ大統領側から中止の通告が発表されました。 北朝鮮の色々なゆさぶり外交に米国を甘く見るな、本当に平和を求めるなら日本や韓国とも正常な外交を行うべきだ、「ならず者」の様なおどし「威圧」の政策を改めたり一日も早く日本人の拉致被害者を帰国させるとかの、目に見えた友好的な外交を示さない限り、北朝鮮と言う国を信じる事は出来ないと判断した結果です。

 

 「自国を平和にするにも、戦争と言う命と血を流す行為」をするのも決断は政治家の仕事です。 政治を司るトップの頭脳・知性・人間性・度量・決断力など、一国の代表に付くには超人的な才能と天分を兼ねている人物でないと出来ない仕事です。 批判する事は悪い事ではありませんが、「政治」と言う大事で大切な中身のある仕事を行っているのに、良いところは一切文字や言葉で表現せずに、悪い事と感じた事を捏造してネガティブな演説や報道している野党と日本のマスコミの体質では、真の政治家は出ませんし育ちません。 人間だから100%の完璧な人はおりません、わずか1%のミスを見つければ鬼の首を取ったかの様にはしゃいでいる人達、政治批判で飯を食べているのだからしょうがないですが、その情報を国民がどのように判断するかが選挙です。日本人はマイルドコントロールされがちな「巨人.大鵬.玉子焼」の民族です。 

 

 原発廃止と憲法改正反対、アベは戦争の準備をしている、このネガティブな三つの言葉で現政権を沈めようとしています。 日本の弱体化、崩壊が彼らの戦略の一つです、新潟県の知事選こそ、この次の国政選挙に影響が表れると思います。

 

 日本人はもっと政治と選挙に関心を示しましょう・・!

2018-05-26 07:31:23.0 ♢ スポーツチームの指導者の条件 ♢

 スポーツ界の指導者の不勉強の表れと、スポーツそのものの価値の変化に警鐘申し上げたいと思います。 スポーツは一つ間違えれば、大怪我や人命さえも係わる事故に繋がるのがスポーツや運動ですので、スポーツを指導する監督やコーチの責任は非常に重い物があります。

 

 又、昔から日本には「文武両道」と言う物があり、立派な武士や官僚は知識も高く武芸の腕前も人並み以上の人がリーダーとしての資格があり、日本人としての誇りや思いやりの心がある、立派な人間性優れた人が敬われました。 又教育の原点は立派な「心技体」の子供を育てる事が明治の学校制度発祥の基本的な考え方は、心身共に正常な事が出来る人間を育てる事が、教育の中の体育教育でした。それなのにスポーツの振興が現在では、只々勝ちにこだわり、相手に怪我をさせたり禁じ手を使ったり、大関・横綱でも品格も何も無く、勝負に勝って賞金を取れば良いと言う勝敗のみのスポーツに堕落しています。

 

 どのスポーツも「礼に始まり礼に終る」相手に敬意を持って接するのが、スポーツ教育の大事な点を教える指導者が危険なタックルを指示したと言う事は、現在の日本の社会全体の模様と似ています。 弟子を教育指導する人間の中身が完成されていないと言う事です。

人に厳しさを教えるなら、リーダーそのものも私生活のすべてから模範を示す態度と、考えを修業することだと思います。 勝負も大切ですが教室やクラブ・道場の子供達にみっちり、人間の道も指導できる指導者になって戴きたいと思います。

                   それでは又、